春の訪れを感じて

 

みなさま、こんにちは。

今日で3月も終わり。やっと春らしくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

思えば今年初めての更新となります…月日が経つのはあっという間ですね。

 

私はというと一体何に追われているのだろうと思うような毎日で、ばたばたと3か月が過ぎてしまいました。

物事が進まない焦燥感や閉塞感、本当はこうしたいと思っていてもできない歯痒さ…なんだかなあと腐ってもしょうがないのですが、どうしてもため息をつきたくなります。

それでも毎日地道に進んでいくしかないですね。

 

 

今日は選抜の決勝戦でした。健大高崎、おめでとうございます。報徳学園もお疲れさまでした。

今年は気づいたら開幕だったので、あまり見れていません。昼休憩に試合をチラ見するくらいでした。もっとしっかり見たかった…。

選抜の時は結構寒いので観客の入りが少ない印象がありますが、今年はいつもよりさらに少なかったような。寒い日や雨の日も続きましたし、途中で日程も少し変わりましたしね。甲子園で見るとまた違う印象だっただろうなぁ。

 

 

散歩していると、桜が咲きそうになっていました。この暖かさで一気につぼみが膨らんだようですね。もう咲いている地域もあるのでしょう。

桜が咲くと、スタートのイメージが強いです。卒業よりも入学のタイミングに咲いていることが多かったからか、新しい環境へ飛び込む緊張感を思い出させます。不安と期待の入り混じった気持ち。…私は不安のほうが大きかったような気がします苦笑。

 

明日から新年度、新しい環境へ行く方も多いでしょう。

どうぞ焦らず参りましょうね。

 

 

一歩

 

みなさん、こんばんは。

12月もあっという間に過ぎ、いつの間にか今年を振り返り来年を考える時期になりました。忙しさにかまけて筆をとることが遅くなりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

 

先日、無事に年末年始休暇に入りました。休暇前はそわそわして、仕事が終わってほしいようなそうでもないような落ち着かない気持ちでしたね。強制的に仕事が途切れる感覚にいまだに慣れません。

特に今年は新しいことを始めて進んでいる最中なので、これが途切れてしまうような感覚が惜しく感じます。もどかしいような、少しでも続けていたいような気持ち。…でも休みたい気持ちも、あります笑。

家でもその仕事に触れることは可能ですが、中途半端にダラダラとやってしまいそうで。とりあえず関連する本を図書館で借りたので、休暇中読むことにしました。

思ったよりたくさん借りてしまったけれど、休暇中に全部読めるかなあ。複数の図書館に行っているので、あれもこれもとつい欲張ってしまいました。

 

 

 

今日は、今年の振り返りを。

私の2023年は新しいことが多い一年でした。このブログを始めたのも今年ですし、新しい仕事を始めて、今までまったく関わってこなかった人達との人間関係があって。それらが今年の下半期に詰め込まれています。今年の上半期は何をしていたんだろうと思い返しても、思い出すのは下半期のことのみなんです。

 

こうやって覚えている理由は、私が動いたからこそなんだろうなあと。振り返ると、すべての起点が私の行動にあります。これまでと違う行動をしたからこそ、いつもとは違うつながりに恵まれました。

例え他の選択肢の方が良かったとしても、今が良い方向に進んでいると思えます。だから今の私はこれで良かったのだと感じています。

 

 

こんな年末を迎えられるとは、今年の年始には想像もしていませんでした。一年前の自分が今の私を見ると、一体何が起きたのかおどろくでしょうね笑。

一年前どころか、これまでの人生で大きな変換点だったかもしれないなあ。渦中にいる時は(今も渦中ではありますが)、気づかなかったですが。この先もっと時が過ぎたときに振り返ると、また違う位置づけとなるでしょう。それくらい濃い一年でした。

 

 

 

固定されているものは既定路線で先が分かる安心感があるけれど、そればかりでは飽きてしまう。新しいことは刺激になるけれど、やりすぎてしまうとひとつひとつに向き合えず半端になってしまう。なによりエネルギーを使い過ぎてしまいます。

今年はその緩急が、ちょうど良かったのかもしれません。後半に動けたのは、前半に蓄えたから。しっかり温存した力が使えて良かったです。

 

そう思うと何だか良い一年だったなあ。

「良かった」と思える今年のすべてに、感謝して。

 

肩の力を抜く

 

みなさん、こんにちは。

急に冬の寒さが身に染みますね。日の当たるところは暖かいのに、一旦影に入るとガラリと世界が変わるような寒さ。散歩中、思わず日の当たるところを選んで歩いてしまいます。

 

学生の時、冬の体育の授業は日の当たるところで友人とかたまっていたのを思い出しました。特に体育館は隙間風が強くて、体育館用の靴に履き替えるとつま先が凍えて動かなかったです。体育館より外の方が暖かい気さえしていました。

授業が始まって動いていると、段々と寒さが気にならなくなりますけどねえ。

 

 

 

さて、またまた久しぶりの投稿になってしまいました。

このところのバタバタ加減は年末感があります。おそらく12月もこの調子なんだろうなあ。あっという間に今年が終わりそうな予感。

 

 

最近は意図的に肩の力を抜くようになりました。気持ち的にも、身体的にも。

思いがけない出来事にあった時、「それはそれだよね」といったん受け入れて流せるようになったというか。無理しないことを前提にすると、「じゃあこうしようかなあ」くらいの気持ちでやってみると案外うまくいくことが多いと感じています。

今までは気にしすぎてどうにかしなきゃ良くしなきゃと試してしまいがちだったけれど、その前提が変わったようです。順応していく感じかなあ。

 

自分の中でもはっきりとした答えがありませんが、これで良いのでしょう。大丈夫だと思えるから。

なんとなく嫌だなあと思うこともうまくいっていると思うことも、自分の中ですんなり受け入れている感じです。そしてそれが、無理なく今の自分に馴染んでいる感じ。20代の頃では想像もしていなかったです。

社会人になって初めての感覚です。不思議。

でもまだ変われるんだなあと実感しています。

 

 

そして寒さで体が縮こまると、どうしても肩に力が入って上がってしまって肩こりが。なので気がついたら肩の力を抜くようにしています。肩を下げるように力を抜くと、こんなにも呼吸がしやすいのかと驚きますね。ぎゅっと気管が閉まっているのでしょう。猫背気味なことも関係しているのかもしれません。

加えて肩甲骨のあたりを開くようにすると、頭がすっきりしてきます。

 

 

寒いからこそ感じられる、この感覚を大切にしていきたいです。

 

小さい大丈夫を積み重ねて

 

みなさん、こんばんは。

とても久しぶりの更新になってしまいました。およそ20日程でしょうか。気がつけばすっかり秋になりましたね。

近所の金木犀がとても良い香りで、散歩に精が出るこの頃です。

 

 

久しぶり過ぎると、書き方を忘れてしまいますね。どうやって書いていたのだろう。

最近何かとバタバタしておりまして、あれよあれよという間に時が過ぎていきました。まだ先は長いのですが、自分が書きたいのも読みたいのも相まってこうして戻ってみたり。

ちょくちょく戻ってきてはいたのですが、その時は書くまでのエネルギーが無かったです。思うことも思い出すこともあるのに、指が動かない。書き出して推敲して、の作業の時間を取れなくなっていたのもあるのですが。

毎日更新をされている人は本当に凄いと思う。

 

 

戻ってこれる場所があるのは良いものですね。私は何かが終わったら新しく作り直すことが多かったので、前いたところに戻るということを今まであまりしてきませんでした。時間が経つと前の自分が今の自分とどう違うのか、その違いを実感するのが怖かったのかもしれません。

でも、そんなに怖がらなくても良いのかなあと。不変なものなど無いですもの。

 

まだしばらくはこの状態が続くので、毎日ではなくてもゆっくり書いていこうかなと思っています。思いつきで動けるくらいには身軽でありたい。

空いた期間に思ったこと考えたことが、ぼろぼろと落ちていく前に残したいなあ。

 

 

意識していないと、記憶に残らないなと感じています。特に最近は。年を経るにつれて、新しいことをすると定着していない古い記憶が押し出されていくかのようです。脳の容量に限りがある。

長期記憶に入っているときっかけがあれば思い出せると言いますが、そのきっかけは運頼みです。いつ何でスイッチが入るか分かりません。

 

最近のスイッチは金木犀の香りでした。香りを嗅ぐと、子どもの頃の学校の帰り道を思い出します。金木犀を植えておられる家が多かったので、帰り道に少し遠回りをしてその香りを楽しんだものです。私だけの金木犀ルートでした。

今は変わってしまっているお家も多いので、金木犀も無いのかもなあ。あの時代だけの道かもしれません。

今住んでいるところは比較的多く金木犀が植えてあるので、嬉しい。香りもそうですが、花も小さくて可愛らしいですよね。オレンジ色と濃い緑の葉のコントラストが綺麗です。

 

 

本格的な冬が来る前に、もう少し秋を楽しむことができたら良いなあ。

 

親愛なるあなたへ


ああ、ついにその時が来てしまったかと思った。

もう二度と逢えなくなることが、これほどまでに寂しいと思うのは何時ぶりだろうか。

生きる世界が違っても、今何をしているか知らなくても、きっとどこかで元気に生きていると信じていた。大丈夫だという根拠のない自信。それをどこかで心の拠り所にしていた。

 

 

突然流れてきた写真と文字を読み、嫌な予感がした。大抵の場合、こういうものはあまり良い情報ではないのは経験上分かっていた。

ゆっくりと文字を追って、内容を理解するのにそう時間はかからなかった。その文章を繰り返し読み、笑った顔を思い出していた。

穏やかで、お茶目で、けれど通すべき筋は通す。そんな姿が好きだった。

 

 

 

俳優という仕事は、稀有な仕事だと思う。

もうこの世に居なくても、作品の中で「生き続けている」。時に笑い、時に涙し、その生きざまが映像に残っている。

ただ、新しい物語が紡がれないだけ。

 

もう二度と見ることができないわけではない。映像で、何度も見ることができる。でも、時間が進まない。

時間を巻き戻して、同じものを何度も見ているだけ。

 

 

 

今、現実世界で他界した人ほどの実感がわいていない。実際に会ったことも、会って話したこともないのだから当然といえば当然で。

身近な人の死も実感がわくのは随分経ってからだった。日常に戻り「無くなった」ものに気づいたときに、本当にいないのだと気づいた。現時点で、私の生活で「無くなった」ものは無い。

 

だから、今の理解しているのももしかしたら虚構で、もっとずっと先に穴があるのかもしれない。

いないことに寂しくなって、新しいものを受け入れられなくなるかもしれない。

それでも笑って許してくれるかもしれないと思うのは、私のエゴだ。

 

 

所詮私が知っているのは作品の中のひととなりで、実際はどんな人物か分からない。

それでも、その人だったから演じられた人物だったと思う。他の人が演じても、きっとあんなにも愛される人物には成りえなかったのではないかと、いち視聴者として思う。

だから、演じてくれてありがとうと心からお礼を言います。

 

他の演者のコメントを見たとき、はなむけの言葉のように思えた。

これからまた長い旅路についただけとでもいうように、寂しいだけで終わらない言葉たち。これまでの感謝と家族へ捧げる言葉が、なんだかとても良いなあと思う。

こういう言葉をかけてもらえるのは人徳なのかな。

 

 

 

長い間お疲れさまと言いたいし、でもまだ見ていたかったとも言いたい。

そんなわがままなことを思いながら、彼の笑顔を思い出している。