左手小指の記憶

 

みなさんは素敵な文章や言葉に出会ったとき、何か特別なことをしますか。

書き写したり、写真に撮ったり、そうやって何かしらの形で残している人は多いのではないでしょうか。

友人は手帳に書いておいて、たまに読み返すのだそう。普段から身近に置いておくと、いつでも読み返すことができて良いですね。

 

 

私はそういう文章に出会ったとき、OneNoteにタイピングして残しています。

実際に目で追い自分の指でタイプすることで、その人自身の言葉が、言葉遣いが、思考が沁み込んでくる気がして。コピペした方が手っ取り早くて時間もかかりませんが、理解度というか、言葉の明度が上がる気がしています。

 

ひととおり読んだ後にタイピングするのですが、意外と途中を読み飛ばしていることに気がつきます。

そのニュアンスはわかってなかったなあ、また意味が違ってくるぞと、タイピングしながら思ったりもして。そんなことがあるので、タイピングは私にとってなくてはならない工程です。

今まで流し読みをして咀嚼できなかった文章もあるのだろうなあ。

 

 

最近、長い文章をタイピングしていると、困ったことにタイプミスが増えて。

手元を見ると、左手はほとんど人差し指と薬指しか使っていないのです。ポジショニングがそもそもずれていて、左手の人差し指が「D」の位置にあることが分かりました。

 

今までは気にならなかったのですが、おそらく、自分の文章をタイピングしている時は思考に重点を置いているので、手は思考と直結して感覚で動いており問題なかったようです。

他の人の文章をタイプするときは、視線を動かし、文章を読む&覚える&咀嚼する等やることが多く、手元まで気を配れない。そうするとタイプがずれて、誤字脱字が増えてしまう。

 

 

なので最近、左手人差し指を「F」に置いて正しいポジションでタイピングするようにしました。

 

さすがに長年の癖、そうそう簡単には直せないかなと思っていたんですが、すごく打ちやすいんです。

左手小指が「A」「Z」に使えるようになったことが一番大きく、他の指も可動範囲が広くなり動きがスムーズ。自然と右手の負担も減り、タイプ音も静かになりました。

あと断然疲れにくい。今まで無意識に力が入っていたようです。

 

当たり前ですが、正しいポジショニングって大事なんだなあと今さらながらに感動してしまいました。

自分の癖って、案外身体に負担を強いているのかもしれない。

 

 

そんなことを思っていたら、今度は何だか妙にデジャヴを感じるようになりました。

なんだろうな、と思っていたらあることに気がついて。

 

私、ピアノを弾くようにタイピングしてるなあ、と。

 

子どもの頃、あまり練習熱心ではなかったのですが、それなりに長くピアノを習っていました。その時の感覚が、なぜだかすっと蘇ってきました。

左手は完全にピアノの鍵盤を弾いている…そう意識すると、驚いたことに右手もピアノを弾くように動かしていて。

左手小指を使うようになって、完全に感覚を思い出したのです。

 

もう10年以上もピアノに触れていないのに、ましてあまり上手ではないのに、こんなことがあるのか。本当に不思議な出来事でした。

今ならピアノが弾けるかも。…いやさすがに無理かなあ。

 

 

ピアノを弾く人は、タイピングが上手なのでしょうか。

曲を奏でるように、美しいのでしょうか。

今度ピアノの弾ける友人に聞いてみようかな。