どれくらい先の「未来」を想像できますか

 

何かと煩雑な世の中、もっと簡単に生きたいものだなあと最近思わずにはいられません。

 

それか何かに打ち込んでいても、まわりの雑音が聞こえないようになりたいです。何かをしていても、それにまつわる事柄を調べている最中に雑音がどうしても耳に入ってしまいます。聞き流せば良いのに、いち意見だからと聞き留めてしまう私が愚かなのでしょうか。私以外の誰も、責任はとれやしないのに。

雑音に惑わされずに貫ける人は、本当に美しい。そして羨ましい。

それか私は打ち込んでいるふりをして、実際はそうではないのかも。ただ単純にそういうものを見つけるのが下手なのかもしれません。

 

 

何かに打ち込むことって、好きではなくても何となく続けていたりすることってありますよね。昔からの習慣だったり、あるいは周囲とのしがらみで仕方なくだったり。

自分で選んでいいのだと他の人に言われても、結局自分が変わろうとしなければ何も現実は変わらない。

そういう、他者に振り回されている感覚が煩わしいなあなんて思ったりもします。良いことであろうと悪いことであろうと。

起きていない現実を悪い方向に考えてしまいます。本当は良いことが起きるかもしれないのに。

 

 

未来をどこまで「今」と捉えるか。

ドラマとかですと、1秒で5年進んだりしますよね。その5年間にあった事柄は、その時点では今です。1秒進んだら5年は過去になります。そう考えると今と過去の線引きは、割とはっきりしているように思います。

では、「今」と「未来」はどこが境目なのでしょうね。

人によって変わるものなのかもしれませんね。

 

私はいつまでを今として捉えて、未来はどこからなんだろうなあと意味もなく考えています。

来週はこれをしなきゃいけない、あれもしなきゃいけない、そんなことを「今」考えているけれど、「今」考えなければいけないことだと私は認識していて。そうすると来週は今なのか、未来なのか。

あまり先を憂いすぎるのもなあ、と思いつつも計画はしてしまいます。計画するのは今であり、それは未来のためなのか。

「今」に集中していない証拠なのかもしれませんね。

 

 

ドラマのように1秒で5年進んだら、と考えてみると面白いです。5年はあっという間でしょうか。その間にあった出来事を思い出せるのでしょうか。

なんて取り留めのないことをつらつらと考えて終わる日曜日です。