純粋に日常を生きているー『旅と小鳥と金木犀 天然日和2』を読んで


みなさん、石田ゆり子さんのエッセイをご存じでしょうか。

私は3冊持っています。今回はその中の1冊、『旅と小鳥と金木犀 天然日和2』をご紹介します。

作品情報

著者  石田ゆり子

発売日 2009年4月10日

出版社 幻冬舎文庫

あらすじ・作品説明

初めての骨董市で改めて知った人の手の温もり。結婚式の立会人を務めて実感した一期一会。妹の赤ちゃんに見たミルク色の幸せ。未知の国モンゴルで触れた優しさ。マイペースな四匹の猫と元気すぎる一匹の犬が傍らにいる喜び。ー明日もよい日でありますように。小さな日常を慈しむ女優の、時に笑えて時に心に沁みる、日記エッセイ。(幻冬舎文庫

感想

エッセイはもともと好きな私。著者がどう生きているか、どんなことを考えて生きているか、それをほんの少しだけのぞき見しているような感覚になります。時に共感し、時に分からなくてしばらく考え込んでしまったりもしますが。

 

本書で石田さんは33歳から35歳。今の私とそう変わらない石田さんの考えに、「等身大」を感じました。きっと私が若くてももう少し歳を取っていても、この感覚にはならなかったと思います。現に、本書を初めて読んだときは私はまだ20代で、共感よりも「そう考えることもあるんだな」と驚いた覚えがあります。

今回、年齢を経て少し近づいたといえばおこがましいけれど、近い感覚になったんだなと改めて思いました。生きている時間や立場、世界が違っていても、同じような考えを持つことはある。それは、今生きている私にとって心強く、支えとなりうるものです。

 

この本を読み進めていくと、内容が声で再生されてくる感覚があります。石田ゆり子さんのさらさらとした、すとんと胸に落ちてくる声。

それがとても心地良いです。

 

優しいや透明感だけで表されない人。ふわふわとしているようで地に足がついている、生きている女優。こんな風に、歳を重ねていきたいものです。

本書を読んでますます素敵だなと思いました。憧れます。

フレーズ

私は、人は本来、大人になるほど「その人自身」になるものだと思う。若いときは、自分が何を好きなのか、本当に何をしたいのか、がよくわからない状態。暗中模索、である。もちろんそれはとても大事なことで、その時期があるからこそ、大人になるにしたがってそぎ落とされ、純粋に純粋になるものだと思うのだが。(石田ゆり子『旅と小鳥と金木犀 天然日和2』p249-250)

「純粋」は時に、子どもを形容する言葉に用いられる。だけど、この本では大人がそうだと。このフレーズを読んで、とても納得してしまった。

きっと石田さん自身がそうやってそぎ落とされていって、今があるのだろうなあ。

 

最後に、特に気に入っているこのフレーズを置いて。

不調な日々も、冴えない日々も。ふわふわと幸せな気分も。昨日も今日も明日も、つながって、さらさらと流れていく。悩んでも、壁にぶつかっても、食べて笑って眠って、生きています。(石田ゆり子『旅と小鳥と金木犀 天然日和2』p317 あとがきにかえて)