100日連続投稿して思うこと

 

みなさん、こんにちは。

最近は夕立に遭う確率がとても多い、そんな日々です。たまたま出先で夕立に遭い、いざ家付近に帰ると雨なんてどこ?と澄み切った空。そんなに遠くに離れていなかったのですが、本当に局地的に降っていたんでしょうね。しかもその時間だけ降っていたみたいなので、タイミングが悪かったようです。

折りたたみ傘を持ち歩く日々も、もうそろそろいいかなあと思っていた矢先。まだしばらくは持ち歩くことになりそうです。

 

 

さて、タイトルの通り本記事が100投稿目となりました。

6月から始め、毎日1記事投稿しています。最近は予約投稿を利用しつつ、ようやくリズムができてきたかなあ。

いざ始めてみればあっという間でした。

 

最近は日記以外の記事はある程度一気に書いておいて、仕上げは推敲も含めて別日に行うようにしています。別日に調整するのは私の癖みたいなもので、一呼吸置くと一歩引いたところからその記事のことが見れるようになるので落ち着くことができます。

仕事では必要に応じてクイックリターンもするけれど、内心はドキドキで笑。失礼はなかったかなあとずっとそわそわするので、小心者です。できれば一呼吸置いてからやりたいのですが、私の都合で相手を振り回せないので難しいですね。

 

 

レシピの記事やお題記事、読書感想については、週のスケジュールを見てなんとなく投稿予定を立てるようになりました。大体の曜日も決めているのですが、その週にイベントや書きたいことがある日は調整をしています。

 

現状で、私が見通して計画を立てられるのが一週間単位までくらいかなあ。突発的な問題に対応しても調整できる範囲であり、自分の体調や気分的な問題もあるので、そのスパンがちょうど良い感じです。

 

 

書くことに対して、ネガティブにならないように気を付けています。そもそも文章を書くことは好きですが、人に読んでいただくことを考えると言い回しや言葉に慎重になるのでそこに負担を感じるのかもしれません。

なるべく自分が思ったことを、そのまま出せるのならば苦労しないんですけどねえ。どこかで取り繕う自分がいます。

 

日記や独り言の記事を書いていて、いざ文章にしてみると自分がこんな風に考えていたのだなあと気づかされることがあります。思ったことに対して「なんでこう思ったのか?」を突き詰めて考えていくと、根底の部分が垣間見えてきます。それは少し怖いことでもありますが、自分を知るというひとつの手段になっていて。

今は、その自分を知ることに恐々としつつも向き合っている。そのような感じです。

 

 

こんな拙い文章を読んでくださる方がいて、いつも感謝の気持ちです。本当にありがとうございます。

よろしければ、今後ともお付き合いくださいませ。