手紙と文字と

 

手紙は書くのもいただくのも好きです。私の手元には、今までいただいた手紙がたくさん保管してあります。

私自身の手帳や日記は片付けてしまったけれど、その手紙たちはなかなか捨てられません。しっかりとした便箋に書かれたものから、贈り物の一筆箋に仕事の時のちょっとしたメモ。どれも私の大事なものです。

 

ちょっとしたメモでも私に対する気遣いや想いを感じて、それを読み返すと温かな気持ちになります。手間だろうに、一言添えてくれたその気持ちが嬉しくなるのです。

そういう相手に対して私は何ができたのだろうかと、申し訳無くなることもあります。いただくばかりで、何も返していないのではないかと。

今さらですけどねえ。

 

 

一番古い手紙は、幼稚園のとき。私が風邪をひいて園を休んだ時に友達がくれた手紙です。まだ文字を書けるようになって間もない頃の、子どもらしい可愛い文章。私とその子が一緒に遊んでいるイラストも描いてあります。きっと時間をかけて書いてくれたんだろうなあと想像できます。

その手紙をもらったとき、本当に嬉しかったんですよねえ。他に何か用があったわけではなく、手紙だけを届けに来てくれて。風邪をうつしてはいけないからと窓越しに手を振ってお見送りしたことを覚えています。

あの子は元気かなあ。元気にしていると良いなあ。

 

 

そういう「手紙をもらって嬉しかった」という気持ちが今もあり、私もなるべく書くようにしています。普段からのちょっとしたメモや、折をみて書く手紙。

手書きで文章を書くことは、とても緊張します。けれど、それ以上に相手に向き合うことができる気がします。

 

話していると、どうしても言葉が過ぎてしまうことがあります。表情を見て、意図したように伝わらなかったなあと思うことも。そして、一度口から出てしまった言葉は取り返すことができません。

けれど手紙であれば、書きながらまとめつつ言葉が足りなければ補足して調整できます。そうやっていると何度も書き直すこともありますが笑、その時間もまた苦じゃないというか。話している時間よりも、断然相手のことを考えている気がします。

 

自分がそうやって手紙を書いているから、手紙をいただいたときにそのありがたさに気づくのです。少なからず私に書く手紙に時間を割いてくれたこと、考えてくれたこと。そのどれもがありがたいことです。

 

 

手紙を書いていると、どうしても自分の癖字が気になります。丁寧に書くように心がけてはいるけれど、綺麗ではないかなあ。でもそれが手紙の醍醐味ともいえますね。

いただいた手紙を読み返すと、この人はこんな字を書くのかと今さらながらに気づくことがあります。普段の電子的なやり取りだけだと、なかなか本人の字を拝見する機会も少ないですしね。

 

その人自体を表す「手書き」の文字が、私は好きなのかもしれません。