受取り難い言葉

 

強い言葉をよく見かけます。

相手に興味を持ってもらおうとして、あえて強い言葉をタイトルに使うことで記事を読んでもらう。その気持ちはよく分かるのです。心理的なテクニックとしても成立しているところもありますし。

 

けれど、最近はその興味を惹くという目的のみが先に立ち、記事が乱立しているように感じます。なんとなく、食傷気味。そしてそういう記事を読む気になれなくなってきました。以前は気になれば読んでいたんですが。

せっかく内容の良い記事を書いていても、逆に敬遠されるようになってはもったいないなあと思います。それとも食傷気味なのは私だけなのでしょうか。

 

 

特に気になる強い言葉があります。

「知らないと損してる」

この言葉に惹かれるのはどういうところなんでしょう。

例えば同じものを買うとして、この支払い方法だとポイント5倍とか?別日だと3割引とか?他の店舗なら同じ価格で2個買えるとか?

全く同じ条件で、時間で、なんの手間もかからないならば損なのかもしれません。けれど、実際そうじゃない場合が多いですよね。

私自身が損を感じていないのに、他人から損していると決めつけられてもなあ。「損をしている」というネガティブな言葉よりも、「お得な方法」とポジティブに言ってくれたらいいのにと思います。

 

「本当は教えたくない」

教えたくないけれど教える、つまりその情報に「教えたくないほど良い情報である」と付加価値を与えているのは分かりますが、なんとなくそのまま受け取りたくなくなってしまうんですよね。

自分しか知らない情報を他人に教える優越感のようなものが、なんとなく透けて見えるような…投稿者の気持ちも分からないではないのですが。私がひねくれているだけかもしれませんね。

教えたくないならそのままで良いです、と言ってしまいたくなります。

 

 

これらの言い方がマーケティングとして有効で、人に興味を持たせることができるのは分かっています。けれど、現代はあまりに軽くこの言葉たちを使っていて、本来の目的を為し得ていないのではないかと思います。

 

どうせなら、すっきりとした前向きになる言葉がいい。同じ内容であればなおさらです。

受け取り手の不安を煽るだけ煽って、実は大したことではなかったり自分が該当しないと分かったとき、受け取り手はどんな気持ちになるでしょうか。「なんだ良かった」と胸をなでおろすでしょうか。それだけならいいのですが、不安の矛先を他人に向けて無用な争いが起きているような場合もあるのではないでしょうか。

 

いずれにせよ、いたずらに不安を煽るような言葉は余計な軋轢を生む。

そんな気がしてならないのです。