恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす


みなさん、こんばんは。

暑くて茹だってしまいそうな毎日ですが、いかがお過ごしですか。

 

もう学生は夏休み期間に入っているんですね。日中にちらほら見かけることが増えて、夏休みを実感しています。

こんなに暑いのに、外に出ていることに感心します。建物の中にいるとはいえ、家から出ているのがすごい。どこにいても暑いので、熱中症には気を付けてほしいですね。

 

 

先日近所を散歩していると、蝉の抜け殻が白木蓮の木の葉っぱについていました。背中のぱっくり開いた蝉の抜け殻。

ちょうど目線に蝉の抜け殻が現れたので、思わずドキッとしました笑。知っているものでも、急に現れると分からないものですね。

木の幹や枝に抜け殻があるのは多いけれど、葉っぱの先にいるのは初めて見ました。飛び立つとき、不安定だったんじゃないかなあ。無事に飛び立てたことを祈ります。

 

 

そんな蝉の抜け殻を見て、ひとつの言葉を思い出しました。

「恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」です。

激しく鳴きたてる蝉よりも、鳴くことのない蛍はかえってその思いの激しさに身を焦がさんばかりに光っている。外に表す者よりも、じっと内に堪えている者のほうが心中の思いははるかに痛切だというたとえ。(出典:ことわざを知る辞典)

私が知っていたのは都々逸ですが、元を辿ると諸説あるようですね。

「恋に焦がれて」の部分が無かったり、「鳴かぬ蛍が身を焦がす」の部分だけ使用されていることもあるようです。

 

 

初めて聞いたとき、いかにも日本的な言葉だなと感じたことを覚えています。鳴く蝉と、鳴かない蛍の対比。蛍の光を内に秘めた想いとたとえるのが、言葉に出して伝えるのが苦手な日本的な考えだなあと。

でも、裏を返すと蛍の想いは相手には伝わらないということ?とも思います。どれだけ身を焦がそうとも、言葉にしなければ相手には想いが届かない。

蝉のように言わなければ伝わらないこともあると思います。多少喧しくても。

 

 

結局は、それぞれの伝え方なのかなあと思います。

蝉は声で、蛍は光で。

そこで外野が想いの重さを比べるのは、野暮ってものではないでしょうか。

 

 

喧しいと敬遠されがちの蝉ですが。

私が見つけた蝉の抜け殻があったのは、白木蓮の木でした。白木蓮花言葉のひとつには「気高さ」があります。

 

蝉もまた、気高く生きているのではないでしょうか。