曖昧な私の輪郭


自分を表す言葉を選ぶのが難しいことについて。

 

自分が「これこれこういう人間です」と表すような言葉が見つからなくて、困ることがあります。装飾というか修飾語というか。どうやって他の人が選んでいるのか不思議に思います。

困り果てた挙句「自分がどういう人間か」を他人に聞いてみても、違和感が残るものばかりで。

けれど、その人の前ではそう振舞っているのかもしれません。

私自身がそうとは思っていなくても。

 

 

初めて会う人に、自分自身を紹介する言葉。

仕事で会うクライアント、他部署の同僚や上司といった、社会的な立場に置いて自分を表す言葉。

プライベートで会う友人の友人、久しぶりに会った同級生へ向けた、現在の自分を表す言葉。

 

 

今の自分を表す言葉は何が適切なんだろうと考えます。

何をしているのか、どう考えているのか、何が好きなのか。対外的なもので、どの範囲までの人ならこれを人に伝えていいのか、なんて考えすぎているのでしょうか。

受け取り方次第で変わるものもありますし。

 

昔自己紹介で嫌いなものを言ったとき、「何故自己紹介で嫌いなものを言うのか。そんなものより、好きなものが知りたいんだけど」と言われたことがあります。とても当たり前だと思う。

そういう失敗と反省を繰り返しながら、今の私を形容する言葉を探しています。

 

 

 

昔の知り合いが、昔のままの私で話を進めることがあります。

その時は、違和感を感じつつも昔の私を演じるようにしています。その人の中の私になるように。

あまりに今の私がするような振る舞いでなければ、少し改めるけれど。それでも、その人の中の私は変わらないままで残っていくことが多いです。

なんとなく、成長がないと言われているような気がしてしまいます。

 

きっと今の私を知ったところで、そういう人達は変わらないのでしょうね。

マウントを取りたいだけの人もいます。自分が手に入れたもので私が持っていないものがあるとき、それを私が欲しいと思っていなくても押し付けてきます。「欲しいでしょう?」と。

 

それに対して、曖昧な態度をとるようにしています。本当に欲しいものだったとしても言わないし、欲しくなくてもその意思が伝わらないことが多いのです。本当は僻んでいるのでしょうと、分かっているよとさも言わんばかりの表情で。

面倒な人間関係を曖昧さに助けられています。

 

そう思うと、私を形容する言葉に「曖昧さを認める」と加えても良いのかもしれません。