何かを始めるとき、登録が必要なものってあるじゃないですか。
あの時、アカウント名や名前を決めるのにいつも苦労します。特に後から変更ができないものは、その場で決めなければならないのでいつにもまして慎重です。登録画面で固まり、数時間かけて決めることもあれば、後日に伸ばしてしまうことも。
悩みに悩んで、結局ありきたりなものになります。
子どものときに決めた名前は、食べ物や植物の名前だったりすることが多いです。きっと、その時自分の身の回りに在るものを選んだのでしょう。今は特に好きでもないけれど、その時に好んでいたものが多いので懐かしさを感じます。
長く使っているアカウントは、その時に読んでいた小説の主人公の名前をもじったもの。今でも見るたびにその小説を思い出します。
まさかこの歳まであの小説を覚えているとは思っていませんでした。
なぜこんなに悩むのでしょう。
呼びやすい名前や覚えやすい名前、漢字を組み合わせるならば変な組み合わせにならないように、アルファベットならば数字も組み合わせようか、同じ名前の人がいたら分かりにくい等、色々なことを考えます。
名前がこの先の自分の人生を決めるわけではないけれど、この名前に添って生きていくように感じるから、というのは言い過ぎでしょうかね。
けれど、あながち間違ってもないと思うのです。
ゲームをするときの主人公の名前は、いつもデフォルトにします。自分の名前をいれたことはありません。
デフォルトの名前がないときは「名前」と入れています。名無しの権兵衛、海外だとジェーン・ドウなのでたまにジェーンになることも。海外ドラマでよく見かけますね。
もうジェーンで統一してしまおうかとも思うのですが、日本の固有の名前や漢字が恋しくなるんですよね。そもそも漢字自体が好きなのかもしれない。
何となくで決めて、後悔をしたくないのです。「なんでこんな名前にしたんだろう」と後からがっかりしたくない。それに「この名前は何?」と聞かれるのが嫌で、わかりやすくて知っている人が多い名前にしている節もあります。
他の人のユーザーネームを見て、羨ましくなったりします。的確にその人のことを表していたり、あるいはそのように振舞っている。
その人となりが垣間見えていいですね。
結局私が自分自身のことをよく分かっていないから、決めきれないし選びとれないのかもしれません。それが何を表すのか、他の人が見たらどう感じるのか、他人の目を気にしているということもあるのでしょう。
アカウントの名前ひとつで大げさな、と思わないでもないですが、なんとなく根っこがそこにある気がします。
流されるままの人の方が、自分を分かっているから揺らがない。他の人に揺るがされない。
しなやかな芯のある人ってそういうイメージです。
そういう人がいいなあ。