音楽が止んだ


いつからか、音楽を聴くことを止めてしまったと思う。

 

 

以前ピアノをしていたこともあって、楽器の音が好きです。

ピアノから始まり、金管楽器木管楽器、弦楽器、打楽器などの吹奏楽交響楽団、オーケストラ。実際にコンサートにも行っていました。何百席もある大きなホールや、地面に腰をおろして聴く屋外のコンサート。それぞれに音の飛び方が違って感動します。

 

行けない時はオンラインコンサートを楽しんでいました。

オンラインだと聞こえる音質が違うので、できれば現地で生音が聴きたいと悶々としながらオンラインコンサートを聴いていたことも。

 

 

歌手のコンサートも好きですね。

地元は田舎でなかなかコンサートに行ける機会に恵まれなかったのですが、独り暮らしを始めてからは近い会場に足を運んで。コロナ禍では、それこそライブ映像を配信してくれる歌手の方も多かったので、画面越しにライブ感を味わって楽しんでいました。

人の声もまた、目の前で歌っている声とマイクを通した声、画面を通した声と3変化します。どれも素敵。

 

 

日常では音楽プレイヤーを使い、通学時間・通勤時間に聴いていました。

プレイリストを作って自分を鼓舞するような曲を集めたり、新たに耳にする曲があれば検索しCDを買ったりダウンロードしてみたり、季節毎のプレイリストを作り毎年聴き直しては編集してみたり。

様々な年代のお気に入りの歌手、ピアノ曲吹奏楽曲、ストリングス。多種多様な曲が入り乱れている、私だけのプレイリスト。

 

 

あれだけ身近にあったのに。

あれだけ音楽が好きで、聴いていたのに。

今は、たまにつけているラジオから流れてくる音楽でさえもあまり興味を持てなくなりました。

 

 

今は忙しいわけではないけれど、余裕がないのかもしれません。いつも何かに追い立てられていて、聞こえてくる曲も通り過ぎてしまっている。好きな雰囲気の曲だなあと思っても、ワクワクしたり調べたりする余力がなくて素通りしてしまう。

そんな中で意識的に曲を聴くことなんて、楽しむことなんてできるはずもなくなってしまったんだろうなあ。

このことに気がついた私は、とても寂しいと思っていて。

 

 

テストや受験があった学生の頃。いつも通りの自分でいようと、同じ曲ばかり聴いていた時期があります。今聞こえてくると、学生の時の気持ちや閉塞感、それでも藻掻いていた青臭い自分を思い出します。

社会人になり、大事な仕事や出張のときに聴く音楽もありました。そのたびに、ああ頑張らなきゃなあって気持ちの入る曲。背中を支える、私にとって屋台骨のような。

 

思い返すと、私の人生を並走してくれていたのが音楽だったのかなあと思うのです。

では、今の私には何があるのだろう。