その優しさが嬉しかったという話

 

先日から、新しいことを始めるにあたり色々な人に声をかけたりお話を伺っています。疑問点の相談、手続き関係について、力を貸してほしいことなど、それは多方面にわたります。

私一人の力ではどうしようもないことが、山ほどある。

 

 

他人に声をかけるということ。それは、なんとなく気が引けてしまうことでした。

「私にはできません」という意思表示が丸投げのように聞こえるのではないか、その人の貴重な時間を私に割くことは損失ではないか無駄ではないか、そう思うと足が竦みます。

自分一人ですべてが解決できたらいいのに、と独りよがりな考えを持っていた時期もあります。けれど、どうしたってできないことがある。できたとしても、知識も経験もない私には時間がかかりすぎてしまう。だから、その道のエキスパートに頼るのが一番早くて確実であるのは誰がどう見たってわかること。とても恐れ多いけれど。

 

 

いざ、たくさんの方にお願いをしてみると私の今までの不安は杞憂だったと分かりました。

もちろん、難色を示されたりお断りをされたり、時には鼻で笑われたりもしました。けれど、それは想定内のこと。むしろそちらの方が多いのではないかと思っていたぐらいなので、多くの人が好意的に受け取り力を貸してくださっている現状の方が驚きなのです。

仕事だから、という理由もあるでしょう。けれど、仕事でも業務の範囲内でできる限り尽くしてくださっていること、スムーズなやり取りになるように気遣ってくださること、その誠実さを行動の端々から感じています。

お人柄もあるのでしょうが、その心遣いに感謝してもしきれないのです。

 

 

何から手をつけていいか分からなくて、結局頓挫してしまう。そういうことは今までに何度もありました。何をすべきか書き出してタスクを分解しても、そこにかける時間や労力を思うと腰が引けてできなかったことも。

私だけでできないことは相手の都合を考えると気が重くなり、連絡をとることも億劫で伸ばし伸ばしにしてしまい。単純に他人の手を借りるということに、あまり慣れていなくてできなかっただけなのかもしれません。

 

これだけ多くの人に関わっていただいている、お力を借りていることを思うと私も精一杯の力で返さなければなりません。

それが誠実さというものではないでしょうか。誠実には誠実でお返ししたい。

まだ山場は続くし、正直終わりが見えないのでどこまでいけるのかも分からないですが。それでもこれまでのことを思い出して、背筋を伸ばして歩いて行きたい。

 

 

世の中捨てたもんじゃなかったなあ。