思ってもみない方向から、矢が飛んでくることがあります。
何気ない会話の延長線で、「それ相当こだわっているよね。こだわりが強いなあ」と言われたことがあります。
私からすれば、それはこだわってやっていることではなくて「こうやってみたら良かったので、こうしていますよ」くらいの感覚で。むしろ他にいいやり方があったら、乗り換える予定の一時的な措置でした。現状ではこのやり方がベストです、というつもりの感覚。
なので、こだわっているよねと言われたとき、私の感覚が通じていないのだなと少し悲しくなりました。
こういうすれ違いが積もっていくと、何が原因かを探ってしまいます。そしてそれを自分自身の拙さに帰結しがちです。
今回の場合は、私の話し方が悪くて本筋が伝えられていなかったのか、話すトーンが本気すぎてそれしかしないように見えたのか、そもそも普段の態度や話から新しいことを受け入れられないような頑固な人間に見えていたのか。
こだわりについて2回続けて言うということは、今回の件だけではなくて他のことでもそういう風に見ていたのかもしれないと考えたり。
内省を重ねて考えて、次はこうしようと思って動く。
「こだわりがある」のは悪いことではないと思います。自分の良いを知っているということ、すなわち自分を知っていることだと思うので。
けれど「こだわりが強い」と言われると、それにこだわり過ぎて本質を見逃しているような、そんなマイナスイメージを持ちます。固執している、とも置き換えられますね。
結果や物事の最終目的よりも、自分のやり方などの楽を優先してしまう。自己優位的な考え方を持つ人と捉えている?私の感覚でしかありませんが。
現状維持で変化していかない人、そのイメージを持たれたのではないかということが嫌だったのかもしれません。
言葉にしてみると、すっきりするような納得するような…
私の持つ私のイメ―ジから離れていたからこそ、この違和感や悲しみを感じたのかもしれない。
ただ、相手の受け取り方や言葉の選び方に振り回されているような気がしなくもありません。そんなつもりは無かった、けれど最適な言葉が思い付かなくてつい口から出てしまった、という経験は私にもあります。
つい口から出てしまった言葉が、実は普段から思っていたことだったというのはとりあえず置いておきましょう。人間の深層心理に入り込みすぎている。
「まあそれでもいいかな」と思えるくらいの心を持ちたいです。