地元は海の近くの町です。毎日、海を横目に学校に通っていました。
夏のレジャーは山よりも海で、泳ぐことも潜ることも好きな私はいつも楽しみでした。夏休みには知り合いが持つ船に乗せてもらい、島に海水浴へ行ったり釣りをしたり。船に乗ることがあまり無かったので、それだけでわくわくしました。船がしぶきをあげて、海の真ん中を割って進む。風を浴びながら海を進むのが本当に気持ち良かったです。
日常的にある海は、夏休みの間は非日常となって私を楽しませてくれました。
そんな私の海の思い出は、地元を出て数年経った頃。
車で友人と出かけた帰りに、近くに海があるから見に行こうと誘われ行きました。
まだ夏にはならない初夏、海に入るには早すぎる頃のこと。潮風が少し肌寒くて、空も灰色で。海を見ても、空との境目が無くどこまでも薄灰色の視界でした。
夕方に行ったのですが、日が沈むときには辺り一面薄ピンク色になって。一瞬で色味が変わっていく様は、何とも言えない美しさがありました。
車を降りて砂浜を散歩しながら、歩くこと数十分。
そのうち砂浜を散歩するのにも疲れて、車に乗せていたレジャーシートを砂浜に広げて座りました。
一度座ると、思ったより足が疲れていて立ち上がりたくなくなりました笑。砂浜って歩くのに案外体力使いますよね。ついついそのまま寝転がって、だらだらと何時間も話していました。その時は楽しかったのですが、今となっては何を話したか覚えていません。
あっという間に時間が過ぎていきました。
街灯もない中、海のさざ波の音だけが聴こえる。
星がかすかに見える。でも、雲の流れも見える。
夜なのに薄明るいような、不思議な時間でした。
それが何となく、子どもの頃の非日常な海に似ていたんです。
いつも見ている海は穏やかでも荒れていても、そこに「在る」ものでした。けれど自分がどこにいるのか分からないような、同化しているような感覚になるのはそんなにあることではありませんでした。
状況は違えど非日常になったことが、子どもの頃の思い出に重なり楽しくも懐かしくもなりました。
結局話しているうちに、朝が来てしまいました。砂浜に寝転がって見る朝日もまた、美しかったです。
徹夜して話し続けるなんて若いですよね。後先考えずに動けるのは、若さという才能だなあと思います。羨ましくもあるけれど、やりたいかというと少し腰が引ける…
何より体力が続かない気がします笑。
この体験は「今後、多分忘れないんだろうなあ」と思うことのひとつです。
こうやって改めて言語化して文章にしても、大したことではないのです。けれど、人生でそうあることではないと思うのですよね。
なんとなく不思議な海の思い出でした。