「もっとずる賢くていいと思う」


以前、勤めていた会社で先輩から言われた言葉です。

 

当時の私は、日々の業務に追われていました。毎日終電まで残業、朝も始業時間前に出勤。それでもやらなければ終わらない業務が山積みであることだけが変わらない。

気の抜けない日々の中で、それでもやりきらなきゃと自分を追い込んで仕事をしていました。

 

 

そんな中、同部署の先輩とランチに行く機会がありました。普段から何かと気にかけてくださっていて、その時も他愛ない話から仕事の話まで色々な話をしていました。

仕事の話になったとき、ふいに先輩に言われました。

 

「もっとずる賢くていいと思う。それはずるくない」

 

 

初めに言われたときは、あまりその言葉の意味を理解していませんでした。というよりも、あまりに自然に言われたので反応できなかったというのが正しいですね。

 

その時、実は先輩は退職が決まっていました。

これは私の勝手な想像ですが、おそらく先輩は私の身の破滅を招くような働き方を見かねて言ってくださったんだと思います。

 

 

ずる賢いっていうのは手を抜いていいということではないし、ずるいことじゃないから自分を責めなくていい。

終わりそうにないなら他の人に頼んで良いし、結果が同じならば工程を抜かしてもいい。大事な部分だけは押さえて、終わらせればそれでいい。

 

正攻法じゃないけど、ずるくない。そういうずる賢さは、あっていい。

 

 

仕事の手を抜いたりすることは、私の性格上難しいことでした。そしてそれは多分、先輩も分かっていたこと。その上で、あの言葉を言ってくださったのだと思います。

 

 

 

世の中は、まっすぐだけでは生きていけません。もちろん、曲げてはならないことはあります。けれどいつも正攻法でうまくいくとは限らないし、時にはそれが裏目に出る事だってあります。

真正面からぶつかるということが美徳にとられがちだけれど、それだけが正しいわけではないしやり方なんて色々あるのです。当時の私は、目の前に気を取られ過ぎて見えていませんでした。

だからずる賢さは、世の中を生きていくためにあっていいものだと今の私は思っています。

 

 

結局、先輩の退職からほどなくして私はその企業を退職しました。

結果論ですが、大事になる前にそれができたのは良かったと思っています。退職すらもできないと思い込んでいましたから。今ならば、真面目かとつっこみを自分で入れるくらいには笑い話にしていますが、当時の私にはそれができないほどに追い込まれていました。

退職を決意できたのは、どこかで先輩のこの言葉を覚えていたからでしょうね。

 

 

今でも、目の前に集中しすぎてしまう時この言葉を思い出します。

ずる賢く、世の中を生きていきましょうね。

 

 

お題「心に残っていることば」