懐古に浸る

 

みなさん、こんばんは。

安定しないお天気ですね。一雨降れば涼しいと思えても、雨が降ったり止んだりだと出かけるのに躊躇します。傘をできるだけ持ち歩きたくないのです。

 

毎年、日傘を買おうかなあと思っている間に夏が終わります。雨兼用にするか遮光が高いものにするか、悩んだ挙句決めきれず。でも今年の夏は降ったり止んだりだったので雨兼用にしておけば良かったです。

男性が日傘を使っておられる姿を、だいぶ見かけるようになりました。以前の日傘といえば白色でレースだったり、女性らしいものが多かったですが昨今は色々なデザインが出ています。色味も白色や淡色ばかりではなくなったので、使用しやすいです。

私も白色よりは黒っぽいものを検討していたので、この流れはありがたい。結局購入していないですが。

 

 

先日、実家に帰省して参りました。短い期間だったのですが、実家はやはり落ち着きます。

実家に住んでいた頃より、使用している家電が変わったり家具の移動が行われていたりと変化があるのですが、それも不思議と馴染む。基本的な部分が変わっていないからでしょうか。

 

あと、実家に帰ると食材を考えながら料理しないで済むのでとても楽です。台所には立つのですが、基本的に冷蔵庫に在るものでメニュー指定がされたり、下ごしらえがしてあるものを調理するだけという楽ちん作業。

実家に住んでいたときはあまり考えていなかったけれど、楽をさせてもらっていたなあと思うばかりです。

 

 

私の元自室に寝泊まりしたのですが、そこで高校の現代文の教科書を発見しました。実家を出るときに大体のものは片付けたのですが、高校の教科書類はまだ置いていてもいいかと残していたのです。

 

現代文の教科書、意外と内容を覚えているものですねえ。読み返してみるとたくさんの書き込んだ跡があり、なんだか嬉しくなりました。

授業で使用されていない文章も好きで、教科書が配布されたら一番に読み込むのが国語系の教科書でした。載っている文章を読んだら続きが気になって、本を探して読んだことも。

 

現代文の教科書と一緒に、板書したノートも見つけました。よく取っておいたなあと自分の物持ちの良さに驚くばかりです。

ノートにはたくさんの解説や自分自身の考えが書いてあり、こういう解釈だったのかと改めて考えてみたり。割と自分で考えさせることの多い授業だったので、難しくも楽しい授業だったことを思い出しました。

板書のノートがあって、初めて教科書の意味を成している。

 

先生方って、どうやって教え方を学んでおられるのでしょう。学校によって、同じ学校でも先生によって授業のやり方は違うでしょうから、それぞれの特色が出そうですね。

 

 

そろそろ高校時代のものを片付けなきゃなあ、と思ったのですが思わぬ掘り出し物を見つけてしまったのでそのままにしておきました。またいつか。

教科書、読み返すと意外と面白いものです。

 

次の帰省のときは、世界史の資料集が読みたい。