私をかたくする言葉

 

時に人は言葉に鼓舞され、自分の実力以上の力が出ることがあります。それは、その言葉のみの力かもしれないし、自分の尊敬する・心を許している人からの言葉だからかもしれないし、様々です。

同じ言葉でも違う人からの言葉であったり、タイミングや言葉のニュアンス・抑揚の差で、全く別物になることもありますよね。

 

 

私は、ふいにかけられた言葉にかたくなることがあります。

その言葉は、直接攻撃する言葉ではないし私自身を否定する言葉でもありません。言葉を発した人にとっては、大したことのない言葉なのでしょう。傷つける意図はないと思います。

 

では何故、私はかたくなったのか。

なんというか、その言葉が自分に染みこまないよう、石のようになるという感覚です。例えていうなら、スマブラカービィが出す技のストーンのような。

ポケモンコクーントランセルがかたくなるを使うみたいな。

…世代がバレるゲームですね笑。

 

 

このイメージでいうと、私はかたくなって身を守っているということが分かります。

私自身がその言葉に引っ張られて、変容してしまうことがあると分かっているからということもあるかもしれません。良い言葉も悪い言葉も、真に受けやすい。明らかに作為的な言葉であったり、言葉を発する人の挙動が不審だったりすると区別がつくのですが。

特に、知っている人や気心の知れた人の言葉はすっと馴染んでいってしまいます。

 

かたくなるということは防御の姿勢で、しかも盾などを使わずに己の肉体のみで耐え忍んでいるということ。攻撃に転じるわけでもなく、嵐が過ぎ去るのを待っているというか。

この防御で、すべてはじき返すことができていればいいけれど。はじいても言葉の方がかたければ、私に傷がつきます。思い返して後からダメージを受けたり、残り香でじわじわと削られていくことが無きにしも非ずです。

 

 

こう考えると、かたくなって身を守るよりも受け流してしまった方がいいのかなあ。右から左へと、入ってきたらそのまま出ていくように。私の中に残らぬように。

かたくなっていたらいつまでかたいままでいなければいけないのか、その人に相対するときにずっとかたいままなのかなど余計なことを考えるようになります。そのことに疲れて、やがて離れていってしまいそうです。私も、相手も。

 

 

そうすると、かたくなるはその場しのぎの対応で、先々のことを考えるとあまりよろしくないなあと思うわけです。私の自然な反応なので、これからも出てきてしまいそうですが。そもそもが防御なわけですから。

けれど気づいた以上、何かしらの動きは変えられそうな気がします。

 

 

ちなみに、「かたくなる」がどの漢字が当てはまるか悩んですべてひらがな表記にしました。固い?硬い?堅い?どれが当てはまるのでしょうね。

言葉は難しいですね。